
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳もほねをくだきても謝すべし
下駄の鼻緒が切れて困っている所に、豆腐屋のおかみさんがすっ飛んできて、かぶっていた手拭を裂いて手際よく鼻緒をすげてくれた。
仙和尚は下駄を受け取り、去った。おさまらないのはおかみさんだった。
「こんど来た和尚、偉い人だというけど、人から鼻緒をすげてもらってお礼の一言もいわない。なにが偉いんだ」
よほど腹に据えかねたとみえて、会う人ごとにぼやく。
それを伝え聞いた仙和尚は、「そうか。おかみさんは一言お礼を言ってもらいたかったのか。わしは、ひとことお礼をいって帳消しにしないで、胸におさめて一生忘れまいと思っていたのに」
初めてこの話を聞いた時は「このじじいぶってやがる」とおもっていたが、最近この話が妙に府に落ちる。現代人に「親孝行って何?」と質問すると「考えていること自体が親孝行」「いい暮らしをさせてあげる」「温泉に連れて行く」「老後の面倒をみる」位の答えしか思いつかないかもしれない。親の恩は幾ら大金を積んでも返せない。親の恩は返すのではなくひたすら噛みしめるものなのかもしれない。
昔、なんかの拍子に母親がポツリと言った。
「親に対する恩は返すのではなく、次の世代に送るもんよ」この言葉は妙に引っ掛かり、私に寄生した。息子と娘の寝顔を見ていると、愛おしすぎて胸が締め付けられる。この子らに送らせてもらわんとな…
さて、恩を送るなどと大層なことを書きながら、ひとつの事実に気づく。与えた裏切りや心配も送られてくるんじゃねえの(笑)仕方ねえな。受けて立とう。
(平成24年2月の法話 担当:村上 慈顕)
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