■このページの掲載内容/永照寺略縁起・略年表・歴代住職・浄土真宗の教章・浄土真宗の生活信条
 
永照寺は雲龍山と号し、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属する寺院です。この寺の開基は
釈道證で、本願寺第八世蓮如上人によって剃髪しています。
道證はもと村上大炊允道定と称し、豊前国蓑島の塁をあずかる武将でしたが、応仁の乱に加わり、
摂津国川中島の戦で傷を蒙り、溝杭仏照寺に於て加療中、
蓮如上人の巡化に遇い発心出家してその弟子となりました。
明応4年9月28日(1495)、本願寺実如上人より本尊を下附され九州に下国し、
当時一寒村に過ぎなかった小倉津に草庵をいとなみました。



文化年間に書かれた永照寺山門のにぎわい

三代西蓮の時、高橋参河守穐種が小倉を領しましたが、
その室が当寺を崇敬し保護を加えています。続いて慶長3年毛利壱岐守が入国し、当寺の殿堂を潤色しました。
同7年細川忠興豊前を領し、小倉城築城のため
寺地を室町より米町の地に移しました。松林を切り拓いて
寺地を造成したと記録されています。
細川氏肥後転封の後を嗣いだ小笠原忠真(ただざね)公も
当寺を崇敬しました。当時の住職第六世西吟は
本願寺初代能化(のうけ)を拝した学僧で、広く仏学に
通じていたため、公も西吟に師事しました。

永照寺門前/昭和10年発行
「小倉名所絵はがき」
公が西吟に送った仏教に関する質問書が数通寺宝となっています。
一切経の造版で有名な鉄眼(てつげん)も若年の頃西吟の門に連なったことがあります。
その後代々学僧を輩出し、地方教化の中心をなしました。元文5年8月の上書に
「当寺の末寺に属する者一百二十有九ヶ寺(各々豊前筑前肥後長門の四州に在り)又
当寺の管下に属する者(管下を以て俗に触下と唱す)四十有四ヶ寺(各々豊前六郡に在り)なり」
と見えています。第十四世西章の代、文化年間に御坊(ごぼう)となりました。

御坊とは本願寺の出張所で、明治40年門司鎮西別院が建立されるまでその役を果たしました。
明治五年、末寺、寺家をそれぞれ独立せしめました。平成3年、小倉駅前再開発事業に伴い、
米町より大手町に寺基を移しました。本堂は開基以後、慶長年間、元禄年間、弘化年間に
それぞれ造立され現在の本堂で5回目の造立になりますが、内部の柱、梁の
殆どは弘化年間に建立された本堂の資材を移築してあります。
太鼓堂は、この地方では珍しい二層式の鼓楼です。
 
明応4年 道證永照寺を開基す(1495年) 戦国時代/北条早雲、小田原城を奪う
天正年間 高橋参河守入倉す(1575年頃) 戦国時代/織田・徳川連合軍、三河長篠で武田勝頼を破る
慶長3年 毛利壱岐守当寺を潤色す(1598年) 戦国時代/豊臣秀吉、没。朝鮮出兵軍召還
慶長13年 室町より米町へ寺基移転(1608年) 江戸時代/1603年徳川家康、征夷大将軍となり江戸幕府を開く
寛永9年 小笠原氏豊前を領す(1632年) 江戸時代/徳川秀忠、没
慶安3年 西吟山林を賜り海蔵庵を開く(1650年) 江戸時代/剣客 柳生十兵衛、没
元禄年間 本堂を再治す(1690年頃) 江戸時代/1689年 松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出る
亨保5年 経蔵を造営す(1720年) 江戸時代/江戸大火・江戸町火消しいろは組を設置
文化年間 御坊となる(1810年頃) 江戸時代/フレデリック・ショパン、生誕
弘化2年 本堂を造立す(1845年) 江戸時代/アメリカ捕鯨船マンハッタン号、浦賀に来航
平成3年 米町より大手町へ寺基移転(1991年) 湾岸戦争勃発・雲仙普賢岳で大規模な火砕流

 
 代 道 證明応4年永照寺を建てる 大永2年2月10日往生89歳
 代 了 信天文21年4月19日往生 享年80歳
 代 西 蓮文禄2年7月18日往生 享年74歳
 代 西 秀慶長11年大僧都法印を任せられる。元和7年6月5日往生
 代 西 林寛永11年9月18日往生

初 代/道 證 二 代/了 信 三 代/西 蓮 四 代/西 秀 五 代/西 林


六 代/西 吟


掛け軸/連座の御影
れんざのごえい

右上が初代で少し下がって左が2代目4代目が金色の衣この要領で12代目までの御影が書かれています。
 代 西 吟 初代能化(本願寺の学問の最高責任者)寛文3年8月15日往生 享年59歳
慶長10年に豊前小倉米町の永照寺、西秀の子として生まれました。
幼少の頃は学問を嫌っていたようですが、記憶力は優れていたと伝えられています。長じて小倉の圭西堂や豊後の雪窓などに師事して禅を学びました。また肥後の延寿寺、月感(えんじゅじ、げっかん)と共に、了尊に師事して真宗宗学を学びました。遊学の後、自坊に戻り真宗宗学の研鑽と子弟の教育に励みました。正保4年能化職(のうけしょく)を命じられました。
【著作】
「正信偈要解(しょうしんげようげ)」四巻
「客照問答集(きゃくしょうもんどうしゅう)」二巻
 代 西 恵寛文12年11月23日往生
 代 西 隆享保7年12月25日往生
 代 西 恩正徳4年12月10日往生
 代 西 従元文3年3月15日往生
 十一代 西 順宝暦12年10月3日往生
 十二代 西 成安永3年4月25日往生

七 代/西 恵 八 代/西 隆 九 代/西 恩 十 代/西 従 十一代/西 順 十二代/西 成
 十三代 西 愚天明7年12月往生
 十四代 西 章文化11年2月15日往生
 十五代 西 現明治6年12月12日往生
 十六代 西 真明治27年1月6日往生 享年47歳
 十七代 西 弘昭和6年6月6日往生
 十八代 西 忍昭和20年10月20日往生 享年50歳
 十九代 西 淳昭和56年2月7日 享年65歳
 二十代 充 生現住職
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