子らよ
手を合わす人に
なっておくれ
人間が、他の動物と異なる特徴は、「道具を使う」「言葉をしゃべる」ことです。
「道具を使う」ということは手を使うということです。
その手も、人をたたく手にもなれば、合掌する手にもなります。
合掌の姿は、相手を敬う姿です。
「言葉をしゃべる」といっても、人を傷つけることばもあれば、人を力づける言葉もあります。
私は、どちらの言葉を多く、口にしてきたのでしょうか。
親鸞聖人の説かれたお念仏は、「お願い」することでなく「報謝」「感謝」のお念仏です。
北陸に米澤英雄さんという、仏法をよろこぶお医者さんがおられました。
米澤さんが「お念仏は請求書でなく領収書」と言っています。
考えてみると、私達は生まれて以来、請求書を出しっぱなしではないでしょうか。
親に対し、子に対し、社会に対し、
私はこれだけのことをしたのだから、こうしてもらわねば困ると
知らず知らずのうちに請求書を出しています。
そして、その結果が意に反したときは、
こんなにしてあげたのに何故と、不平不満が起こってきますし、
たまたま請求どおりになったとしても、私の貪りの心に終わりはありません。
それが私の姿です。
「念仏は請求書ではなくて領収書である」という言葉は、
ご利益(りやく)をくださいと、お願い、要求するのではなく、
怒り、貪り、愚痴でいっぱいの私の姿を見抜き、
私をそのまま、おさめとっていく仏様の願いに、うなずき、感謝していく心です。
手を合わせ、お念仏申し、親鸞様の教えを味わう人が、一人でも多くなるようにと思います。
「子らよ
手を合わす人になっておくれ
お念仏の教えを
よろこぶ人になっておくれ