
心は見えないが
心づかいは見える
今月のことばは
「心」は誰にも見えない、けれど「心遣い」は見える。
「思い」は誰にも見えない、けれど「思いやり」は見える。
(公共広告機構)より
この言葉は、宮澤 章二(1919~2005)さん著「行為の意味」の一節です。
暑い季節には、風鈴の音が、涼しげです。
風は見えませんが 風鈴の音 枝の揺れ、
雲の流れに風を感じ、知ることができます。
親鸞様は『唯信鈔文意』で、
「法身(ほっしん)はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
この一如よりかたちをあらわして、
方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、
不可思議の大誓願をおこしてあらわれたまふ御かたちをば、
世親菩薩(天親)は尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまへり」と
仏様は、本来、いろも、かたちもないけれど、
私に「南無阿弥陀仏」の声の仏となって現れ、
はたらくと述べられています。
「南無阿弥陀仏」のこころは、
すべてのいのちを摂め取って捨てることのない、
阿弥陀様の大きな願いのあらわれといただいています。
声に姿は なけれども
声のまんまが仏なり
仏は声のお六字と
姿を変えて我に来る