
父の遺産
積極的に書く気持ちになれないが、
書かないと前に進まないので書くことを決心した。
スキルス癌という特殊な病により義父が亡くなった。私は父のことを僧侶として尊敬していた。病の中、おそらく立っているのがやっとの状態で1週間、自勤(90分のお説教を2回)した。巷に安く流れている「いのちをかける」と言う言葉に初めて真実味を感じた瞬間だった。63歳という年齢。今の社会の枠に当てはめれば短命と言われるのかもしれない。しかし、父は自分の人生について「丁度いい」という言葉を残して息をひきとった。
ご法義をいただければ、いつ、どこで、どんな終わりを迎えようとも、いのち終わったそのとき、そのままが仏と成なる人生をいただく。
「死ぬからこそ、この私のただ一度の人生の意味を問わなければならないのです。仏教では明日とか、1年とか、10年とかいう単位でモノを考えません。人生という1つの大きなカタマリをこそ問題にするのです。その時、数ヶ月の人生も百年の人生も同じとなります。要は意味が有ったか、無かったか、つまりはゼロかイチの2つに1つなのです。」父の著書『平和の光』からの一文。
人としての想いの上からは「ああしたい」「こうしたい」「あれが見たい」「これが見たい」と思い残すことは沢山あっただろう。しかし、このいのちを包んでくださる如来のはたらきの中で生活していたから、どこで倒れても大悲の中という救いの法を肌で感じながら生きていたから、「苦しく悔しくはあっても虚しくはない」という境涯を恵まれていたに違いない。
父の死を通して、死により生が完成するということを学んだ。人生の最後の1ピースは死なのだ。 そして、生き様という遺産を頂いた。 どんな状況にあろうと御法義を経糸に生き抜いて行くという生き様。
現在の心境は「悲しいけどまた会える」というより「また会えるけど悲しい」だが、悲しいなりに精一杯、恵まれた日々を生き抜いていこうと思う。
(平成25年4月の法話 担当:村上 慈顕)