優しさに
ひとつ気がつく
×でなく
○で必ず
終わる日本語
9月のことばは、俵 万智(1962~ )さんです。
最近の、若い世代の方の文章には、句読点がないそうです。
句読点をうっているのは、おじさん、おばさん世代だそうです。
でも〇で必ず終わる日本語はいいですね。
息子さんを亡くされた、井出悦郎(1979~ )さん
「息子の死を通じ、
天文学的な確率の偶然のご縁で私が生まれてきた事実に、
知識ではなく、身体の奥底で深く納得しました。
『死んだら終わり』『死んだらカルシウム』とまで
言われているようですが、私はそうは思いません。
息子は今も私たち家族の中に息づき、家族の物語を演じています。
息子が亡くなった日、
空を赤々と染める夕焼けが西の空に見えました。
もし、その地に息子が向かったのであれば安心かもしれない、
そう感じさせてくれる見事な夕陽でした。
私たち家族にとって故人を象徴するものは、
その日以来、夕陽になりました。
私には特段の霊感はありませんし、
死後の世界があるのかもわかりませんが、
大切な亡き人がいる場所がどこかにあり、
そこで『また会える』と思えることに幸せを感じます。
そして自分もいつか彼の地に胸を張って行けるよう、
それまで人生を全うしていきたい、
このような方向性の中に、自らの人生の歩みがあります。」
と述べられています。
秋彼岸の月に、いのち尽きた時、
無(×)でなく、浄土(〇)の説かれた教えを味わっています。
彼岸花咲ける間の道をゆく
行き極まれば母に会うらし
(上皇后 美智子さま)