一日の空過は
やがて
一生の空過になる
親鸞聖人が、お念仏の教えに導かれたとして仰ぐ、
インド、中国、日本の七人の先達
(七高僧=龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、源空上人)
その七高僧の一人、天親菩薩様は、
生きる意味も、死ぬる意味も知らずに、人生を過ごすことを「空過」と説かれ、
本願、お念仏の教えにより、仏に成る人生を恵まれることこそ、
空しくない人生であると述べられています。
アンパンマンの作者「やなせ たかし」さんは戦争に行きました。
やなせさんの弟さんも戦争にいきました。
弟さんは戦死をして、やなせさんは生きて帰りました。
そのことから、「弟が死んで、自分が生き残った、その意味は何だろう」と、
いつも自身に問いかけていました。
そして、その思いを、やなせさんの作詞の「アンパンマーチ」で
そうだ うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ 胸の傷が
いたんでも
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ
何のために生まれてきたのか。なにをして生きるのか。
大人にとっても難しい問いですが、こどもたちに、
何のために生まれてきたのか。なにをして生きるのか。
という問いに答えられる人間になってほしいとの願いを告げています。
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
(親鸞聖人「ご和讃」)
本願のはたらき(お念仏の教)にあうと、迷いの人生を過ごす人はいない。
宝の海のように功徳が満ちみちているので
煩悩で濁った水も、往生成仏の妨げになることはない。