いつでも どこでも
選ばず 見捨てず
これが
南無阿弥陀仏
『歎異抄』第一章に
「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」とあります。
阿弥陀様のご本願は、
若くても年老いていても、男でも女でも、善人でも悪人でも、
選別することなく、みんな平等に摂め取って下さいます。
「仏説無量寿経」に「謙苦」という言葉があります。
「苦を拝む」といただいています。
阿弥陀様という仏さまのはたらきとは、どういったはたらきなのか?
それについては親鸞聖人が76歳の時に詠われた
『浄土和讃』弥陀経讃に、次のようにあります。
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
親鸞聖人は、「摂取してすてざれば」の左横に、
「摂め取る/ひとたび取りて長く捨てぬなり。摂は、ものの逃ぐるを追わえとるなり。
摂はおさめとる。取は迎えとる。」と意味を詳しく書いておられます。
讃岐の庄松(しょうま)(1799~1871)さんという妙好人は、
「摂取不捨とはどういうことか」と庄松さんに問いかけたお坊さんに、両手を広げて掴み掛かりました。
びっくりしたお坊さんは逃げ出しましたが、とうとう追いつめられて捕まってしまいました。
庄松さんは「摂取不捨とはこれだ」と言ったそうです。
抱かれて
ありとも知らず
愚かにも
我反抗す
大いなる御手に
(九條武子)