風鈴の風に
亡き人
来てをりぬ
8月は広島、長崎の原爆、そして終戦記念日、お盆と、
亡き人々を偲び、仏徳讃嘆の日が続きます。
今月のことばは、和歌山県の「つじ加代子」さんの句です。
風鈴の名は法然上人の名づけと雑誌にあったので、調べてみました。
『「風鈴」の名は一説には法然が「ふうれい」と名付けたことに由来する。
「風鈴」という表記は鎌倉末期に作られたとされる国宝『法然上人行状絵図』に
「極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ)の風のひびきをこひ、
八功徳池(はっくどくち)のなみのをとをおもひて、風鈴を愛して」とある。
これが後に「ふうりん」と読まれるようになった。』
(ウィキペディアより)
風鈴の音に、浄土の樹々を吹く風のひびき、池の波の音を思ったようです。
鳴るは風鈴
鳴らすは風
鳴っているのは風鈴ですが、鳴らせているのは風、
私の称えるお念仏、称えているのは間違いなく私ですが、
称えさせているのは、いつでも、どこでも、どんなときでも
私を摂めとっていく南無阿弥陀仏の願いのこころ「本願のはたらき」です。
風の便りという言葉があります。
風鈴の音に、亡き人を偲びつつ、南無阿弥陀仏のはたらきを味わっています。