お浄土の
ある人生の豊かさよ
無に帰すことの
何とさびしさ
今月のことばは、新聞の歌壇に投稿されていた、
長野県、関川喜八郎さんの句です。
「東日本大震災」「春彼岸」、亡くなられた方々をご縁に、
仏法聴聞させていただきましょう。
私たちは、手を合す姿を見て、手を合すことを学びます。
同じように、お寺にお参りをして、仏法を聴聞された方から、
日々の生活のなかで、「彼岸」「浄土」「念仏」のお話を聞かされてきましたが、
核家族等で、そういったことが伝わりにくくなっています。
お墓参りやお仏参を通して伝えていくことも大事です。
『お浄土があって よかったね』(宮崎幸枝著・樹心社)
宮崎さんは茨城県稲敷市、みやざきホスピタルの副病院長(小児科医・内科医)、
病院内で法話会を開催し、入院患者の方に、お念仏の教えを伝えています。
本の中で「念仏とは、安心して苦難の人生を旅しておいで、
弥陀にまかせ、目先の日常に追われ、たとえ弥陀を忘れていても、
いつもお念仏となって、あなたに届いているよ、
必ず、浄土の阿弥陀仏と同じ仏さまに生まれさせるのだから、
安心しておいで ということです」と、
ご本人はもとより、患者さんや、スタッフの皆さんと、
「お浄土があって よかったね」の人生を過ごされています。
いのち尽きたとき、
「無」になるのではなく、「往生浄土」浄土に生まれる人生です。
北海道の鈴木章子さんは
「臨終は娑婆の卒業式。そして、浄土の入学式」と
味わいを述べられています。