花 見事に咲きぬ
誇りもせで
やがて うつろいぬ
つぶやきもせで
今月のことばは、柳 宗悦さん(1889~1961)の
『心偈(こころうた)』からです。
私は病中、多くの人々から花を贈られた。
その美しさも、私の眼を慰めてくれたが、
そこに宿る真理は、さらに私に教えてくれた。
どんなに美しくとも、自ら誇らぬ花は、
やがてうつろいて枯れてゆくが、一言もつぶやくことがない。
人間の生活も、このように坦々たる花々にあやかりたいではないか。
花は散り、人は死す。花は静かに散る。ただ散る。
人も何とかこんな散り方をしたい。
後日さらに一偈
「花散りぬ、ただ散りぬ、事もなし」
浄土真宗の教義は、
「阿弥陀如来の本願力によって、信心をめぐまれ、
念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき、
浄土に生まれて仏(ぶつ)となり、
迷いの世に還って人々を教化(きょうげ)する」とあります。
南無阿弥陀仏の教えは、
いのち尽きたとき、浄土に生まれる人生です。
俵万智(一九六二~ )さんが、こんな短歌を詠んでいます。
散(ち)るという
飛翔(ひしょう)のかたち
はなびらは
ふと微笑(ほほえ)んで
枝を離れる
必ず終わりのある、いのちですが、
この世の縁が尽きるとき、浄土に生まれて仏となる教えの中に、
生かされていることを味わっています。