空からふりそそぐ光は
一方通行
私を照らし
あたためてくれる
阿弥陀様の「阿弥陀」は梵語の「アミターバ・アミターユス」の音訳、
意訳は「無量光・無量寿」となり、そのはたらきは、よく光に譬えられます。
光には、「照破」「照育」「照護」という三つの、はたらきがあります。
まずは「照破」闇を破るはたらき、
どんな暗闇も、光が届けば、闇は破られます。
親鸞聖人の顕された『顕浄土真実教行証文類』に
「無礙の光明は、無明の闇を破する恵日なり」という言葉があります。
「どんなものにも、さまたげられることのない、阿弥陀仏の光明は、
私の無明の闇を破る、はたらきであり、太陽の光のようなものである」
と述べられています。
二番目は、「照育」、すべての動植物は、その成長には光が必要です。
私にも阿弥陀様の光のお育てが必要です。
堀口大学さんの短歌に
「深海魚光に遠くすむものはついに眼(まなこ)を失うとあり」
私も仏法の光から遠ざかると心の眼が閉ざされてしまいます。
三番目には、「照護」念仏者を摂めとって捨てない摂取の光明、
『浄土和讃』に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば、阿弥陀となづけたてまつる」
たとえ私たちがその救いに背を向けようとも、
摂(おさ)め取って捨てないと、
どこまでもはたらき続ける仏様を阿弥陀如来と申します。
阿弥陀様に、照らされ、育まれ、護られての毎日です。